シンガーソングライター天邑(てんゆう)さんの歌声には、聴く人の心にある「言葉にできない感情」をすくい上げるような力があります。
かつては自身のルーツに悩み、自信を持てずにいたという天邑さん。なぜ今、こうして胸を張ってステージに立ち続けるのでしょうか。
音楽活動のきっかけをくれた恩師との出会い、単身での上京、そして相棒「とんとん」との出会い。「飾らない等身大の言葉」を紡ぎ続ける天邑さんの、これまでの軌跡とこれからの想いを聞きました。
【プロフィール】シンガーソングライター天邑
大阪府堺市出身・台湾と日本のハーフ
アコースティックギターを抱え、日常の痛みや喜びを歌にする——心の奥にまっすぐ届く言葉とメロディで、あなたの”今”に寄り添うシンガーソングライター。
15歳、地元・堺の駅前でアコギ片手に歌い始めた。やがて大阪のライブハウスへ活動の場を広げ、聴く人の心に残る歌声が、徐々に広がっていく。2022年、活動の拠点を東京に移す。現在は関東を中心に、ライブハウス、SNS配信、ストリートや”流し”など、多彩なスタイルで音楽を届けている。その歌は、形を変えながらも、いつも”あなた”の隣にいる。
ディスコグラフィー
- 2016.11 1stシングル「どんなバツでも。」リリース
- 2019.08 2ndシングル「ボクが望む僕」発売
- 2024年 シングル「ひと夏の恋」リリース
- 2024.11.29 「MY CHANCE」リリース
- 2024.12.7 「パパの唄」リリース
- 2024.12.20 「MY CHANCE アコースティックVer.」リリース
- 2025.04.16 「自転車」リリース

押入れで見つけたギターが、すべての始まりだった
「天邑」さんは、本名だそうですね。
はい、そうなんです。台湾出身の母がつけてくれました。
漢字も読み方も、日本ではあまり見ないですよね。だからこそ、台湾らしさを感じる名前で、とても気に入っています。台湾の文化も食べ物も大好きです。
幼い頃は少し複雑な思いを抱いたこともありましたが、今は母が台湾人であること、自分の中に台湾のルーツがあることを、心から誇りに思っています。
2歳の頃から歌っていたとか。
はい、ラムネのお菓子が入ったマイクのおもちゃを片手に、家のコタツの上をステージにして歌っていたと聞いています。
両親ともに音楽が大好きでした。特に母は、美川憲一さんや安全地帯さんの歌が大好きだったそうで、その影響を受けて日本に来たというほどです。
家ではいつも洋楽や台湾の童謡などが流れていて、自然と音楽に囲まれて育ちました。
15歳でギター片手に路上ライブデビューしたそうですが、ギターはどこで習ったのですか?
父に教えてもらいました。
ギターとの出会いは12歳の時です。ある日、母と喧嘩をして、逃げるように押し入れに隠れたんです。そうしたら、奥の方にギターがあるのを見つけて。「あれ?これ誰のかな」と思って聞いたら、なんと父のギターだったんです。それまで父が楽器をやっていたなんて知らなかったので、驚きました。
そこから父に手ほどきを受けて、最初は父が好きなフォークソングを中心に練習していました。
YUIに憧れて、15歳で駅前に立った日
路上ライブを始めたきっかけは?
父に教わったフォークソングだけでなく、次第にJ-POPも弾きたくなりました。「ギターを弾いている女性シンガーって、誰がいるんだろう?」と調べたところ、シンガーソングライターのYUIさんを知りました。彼女の姿に強く憧れ、「私もYUIさんみたいになりたい!」と思ったのがきっかけです。
YUIさんが路上ライブからキャリアをスタートさせたと知って、「じゃあ私もやるしかない」と思ったんですね。地元の最寄り駅でよく路上ライブをしている人がいたのを思い出して、その場所に行ってみたんです。そうしたら、ちょうどその人が一人で練習をしていました。
今思えば15歳ですごく無礼だったと思うんですけど、思い切ってその人に「ギター貸してください」って声をかけて、目の前で歌ったんです。そうしたら、「めちゃくちゃ上手じゃん!路上ライブやらないの?」って褒めてくださって。「やりたいんですけど、やり方がわからなくて。教えてください!」ってお願いしたところ、翌週その方の路上ライブに一緒に出させてもらえることになりました。それが路上ライブデビューです。その方は、のちに恩師と呼べる存在になりました。

すごい行動力ですね!
よく言われます(笑)。
路上ではYUIさんやRADWIMPSさんのカバーをよく歌っていました。でも、小さい頃から馴染みのあるフォークソングを歌うと、立ち止まってくれたいろんな世代の方がすごく喜んでくれるんです。それが嬉しくて、ライブの楽しさを知りました。その後、恩師の紹介でライブハウスにも出演するようになりました。
ライブハウスでは、ファンの方がチケット代を払って見に来てくださいますよね。「お金を払ってまで来てくれるファンの方をもっと喜ばせたい」という思いが強くなり、そこからオリジナル曲を作るようになりました。
作詞作曲は、どのように学んだのですか?
完全に独学です。やっぱり独学だとワンパターンになりがちなので、そうならないように気をつけています。だから1曲生み出すのに、今でも結構苦労していますね。歌詞に関しては、感じたことをそのまま、飾らない言葉で書くのが私のスタイルです。
「私らしくいられる場所」。活動休止が教えてくれたこと
その後、そのまま東京へ活動の場を広げたのですか?
いえ、実は1年半ほどステージから離れていた時期がありました。
2019年に父が亡くなり、家族を支えるために一度歌手活動を休止したんです。最初は「この期間に勉強して、もっと歌に磨きをかけよう」と前向きに捉えていました。でも、SNSなどで周りの音楽仲間たちがステージに立っている姿を見ると、やっぱり羨ましくて、悔しくて……。「私もあそこに立ちたい」という思いが消えることはありませんでした。
家庭の状況が落ち着き始めた2021年に活動を再開した時、改めて「ステージは私が私らしくいられる場所なんだ」と再認識しました。そこからもっと活動の場を広げたいと思い、2022年の5月に上京しました。


東京にツテはあったのですか?
いえ、何もなかったです(笑)。
ただ、「新しい環境で音楽をやったら、自分はどう変化していくんだろう?」という好奇心だけで飛び込みました。でも、東京は人が多い分、出会いもたくさんありました。今出演させていただいている、「台湾・台中夜市in名古屋」のステージにお声がけいただいたのも、東京での活動がきっかけでつながったご縁です。


「ビビッときた」相棒”とんとん”との出会い
相棒のギター「とんとん」と出会ったのも、東京だとか。
そうなんです。とんとんとの出会いは上京してすぐ、2022年の5月です。
御茶ノ水の楽器店を何軒も回って、最後に入った「ギタープラネット」というお店で出会いました。当時はまだ日本に10本ほどしか入ってきていなかった、オーストラリアの「メイトン(Maton)」というメーカーのギターです。
触った瞬間に「これがいい!」ってビビッときて、すぐに購入を決めました。
どんなところに惹かれたのでしょうか?
見た目がかわいいというのはもちろん、音の素晴らしさにも魅了されました。
ギターの音は「高音」「低音」「中低音」の3つに分けられると言われています。多くのギターは「高音がいい」か「低音がいい」に分かれがちなんですが、とんとんは、その真ん中の「中低音」がすごくいい感じなんです。さらに、内蔵マイクにもこだわって作られているので、スピーカーを通しても生音とほとんど変わらない音が鳴るのも魅力的でした。機械を通すとどうしても機械っぽい音になることが多いんですけど、とんとんは、生で聞いている音をそのまま大きくしたような感覚で鳴ってくれます。
このとんとんを購入したご縁で、ギタープラネットさんに出入りするようになり、「メイトンのアンバサダーになってほしい」と声をかけていただきました。今ではメイトンのアンバサダーとして、ギターの販売イベントなどにも携わらせていただいています。歌うだけじゃなくて、ギターの魅力も伝えられるようになったのは、「とんとん」と出会えたからこそだと思っています。

天邑さんInstagramより
どん底にいた私だから、伝えられる。「大丈夫だよ」
活動の幅を広げられていますね。今、どのような方に歌を届けたいですか?
「自分に自信がない」「自分なんてどうしようもない人間だ」と思ってしまっている、そんな方に寄り添えるアーティストでありたいと思っています。私の歌のワンフレーズでもいいんです。「自分の気持ちを代弁してくれた」「なんか勇気が出た」と思ってもらえたら、本当に嬉しいです。
私は元々人前に立つのが苦手でした。実は、母が台湾人ということで、幼少期にいじめられた経験があるんです。その頃は自分に自信が持てず、台湾のルーツがあることが恥ずかしくて、隠したいとさえ思っていました。でも、音楽を通じて、そしてたくさんの人との出会いを経て、少しずつ価値観が変わっていきました。今は心から台湾のことを誇りに思っていますし、「母が台湾人であることが自慢」だと胸を張って言えます。
かつてはどん底にいた私でも、今はこうやって人前に立って歌っている。だから今つらいことがある人に伝えたいんです。「天邑もそうだったよ。だから、大丈夫だよ」って。私の歌が、誰かの一歩踏み出すきっかけになればいいなと思っています。

さまざまなことを乗り越えてきたからこそ、今の天邑さんがあるのですね。
好奇心が強い分、たくさん行動して、その分たくさん失敗もしてきました。でも、そういった経験を乗り越えてきたからこそ、今はステージで「等身大の自分」を出せるようになった気がします。
今の音楽活動は、「売れたい」というよりも「楽しみたい」という気持ちの方が大きいんです。自分で「ここで歌いたい!」と思うステージに立って、応援してくれる人たちの笑顔を見ながら歌うのが一番幸せです。私が心から楽しんで歌えば、きっとお客さんにもその楽しさが伝わると思うから。
ギターで日本と台湾をつなぎたい
今後挑戦したいことはありますか?
台湾で路上ライブをすることですね。西門駅周辺に路上ライブスポットがあると聞いたので、そこで歌おうかなと思っています。
それから、メイトンのギターを台湾にも広めていきたいです。いつか台湾で「天邑」という名前のついたモデルのギターが誕生したら最高だなと思っています。台湾と日本、両方のルーツを持つ自分だからこそできる形で、音楽とギターの魅力を伝えていきたいですね。
私の姿を見て、音楽に限らず、「何かやりたいことに挑戦してみようかな」と思ってくれる人が増えたら嬉しいです。やっぱり、チャレンジすることは大事ですから。やらないで後悔するより、やって後悔するほうが、きっとおもしろい人生になると、私は信じています。
これからも私らしく、マイペースに挑戦し続けていきたいです。

天邑さんの歌を聞いて感じたことは「光の部分だけではなく、陰が美しい」ということ。さまざまな経験を乗り越えてきたからこそ、誰かのつらい気持ちにそっと寄り添える優しさがあるのだと、インタビューを通してわかりました。
日本と台湾の架け橋として、これからの天邑さんの活躍が楽しみです。

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