台湾への留学経験を持つ、名古屋日台若手交流会代表の野場惇平さん。
台湾の大学院を卒業して帰国後は、星城大学で教員を務めながら日台交流に尽力しています。
野場さんの台湾への揺るぎない思いの原点には、2011年の東日本大震災があります。
今回は、台湾留学を決めたきっかけ、留学中の苦労、そして日台交流にかける情熱をじっくり伺いました。

インド人留学生との出会いが、留学への扉を開いた
大学2年のときに台湾に留学されたそうですが、そもそも海外留学を意識したのはいつ頃ですか?
父が外資系企業に勤めていた関係で、幼い頃から自宅に様々な国の人が訪れていました。そのため海外は身近な存在でしたが、留学に明確な興味を持ったのは高校生の頃です。
我が家がホームステイ先となり、インドからの留学生を2週間受け入れることになんたんです。留学生の彼と私が同い年だったこともあり、すぐに親しくなりました。
彼にとっては日本で見るものすべてが新鮮で、毎日が喜びにあふれているようでした。特に自動販売機が珍しかったようで、「自動販売機でジュースを買ってみたい!」と目を輝かせていた姿が印象に残っています。
家電量販店を訪れた際にはその広さに驚き、「端から端まで走ってみたい!」と言って、まるで子どものように走り出したりして(笑)。
そんな彼を見ているうちに、自分が当たり前と思っていることは、決して当たり前ではないのだと気づかされました。同時に、同い年ながら他国でアグレッシブに挑戦している彼に対し、日本でぬくぬく過ごしている自分を恥ずかしく感じ、「このままではいけない」と思ったことが、留学を決意したきっかけです。
冒険心あふれる留学生ですね(笑)。野場さんが留学先を台湾に選んだのはなぜですか?
留学を決意して星城大学に進学し、1年生の頃から準備を始めました。
星城大学にはアメリカや台湾をはじめ複数の提携校があります。そのなかで台湾の大学を選んだ理由は主に2つです。
1つ目は、家族が英語に堪能だったため、あえて英語圏以外で学ぼうと考えたこと。
2つ目は、家族旅行で何度か台湾を訪れていたことや、父の知人が住んでいたことから、台湾に対して心理的な安心感があったことです。
8カ月ほど中国語学び、大学2年生の1年間台湾の真理大学(新北市・淡水区)に留学しました。

言語の壁を乗り越えて見えた、教育の違い
留学後、周囲とすぐに馴染めましたか?
いえ、困ったことだらけでした。
最大の壁は言葉です。留学中は寮生活で、周りは台湾の学生ばかり。日常会話はできるつもりでしたが、実際は会話がまったく聞き取れなかったんです。周りも「中国語が分からない留学生が来た」と困惑していたと思います。
そもそも日本では簡体字で学んでいたため、台湾の繁体字を学び直す必要もありました。発音や文法にも苦戦しましたね。
どれほどの期間で言語の壁を克服したのですか?
3カ月ほどです。毎日必死に周囲の会話や授業を聞いているうちに、あるとき急にスイッチが入り、中国語を頭のなかで訳さずに自然と会話ができるようになりました。中国語で聞き入れて、そのまま中国語で返すというイメージです。
そこからは生活が一気に楽しくなり、友達も増えました。勉強を通して多くの大学の先生とつながりを持つこともでき、それが今に活きていると感じています。
日本の大学と台湾の大学の違いを感じましたか?
台湾では、教育のなかで自然に日本について学ぶ機会が多いと実感しました。
例えば、第二言語として日本語が選択できる大学は多いです。
経営学においては、日本の大学ではアメリカやヨーロッパを中心に学びますが、台湾ではそれらに加えて日本、韓国、中国といったアジア圏のことも学びます。なかでも日本の経営手法に注目している先生が多く、「日本とアメリカ、どちらの経営手法が適しているか」という議論をよく耳にしました。
一方、日本の教育機関で台湾のことを学ぶ機会は多くありません。台湾を知るきっかけは観光や文化が中心になりがちで、ここに大きな違いを感じました。

野場さんは大学卒業後、台湾の大学院に進学されたそうですね。
はい。1年間留学を終えていったん帰国し、星城大学で卒論を書き上げました。テーマは「ユニクロが台湾で高価格で売れる理由」です。
その延長線上で東海大学大学院(台中市)に進学する機会を得て、2年半ほど消費心理などの研究に取り組みました。

大学院修了後は再び星城大学に戻って助教となり、現在に至ります。専門はまちづくり・経営です。
実は今、博士号を取得するための論文を執筆していて、昼間は学生に教えながら、夜は大学院生として自身の研究に取り組む日々です。
日台交流を続けるのは、東日本大震災の記憶
お忙しいなか、名古屋日台若手交流会の代表としても活躍されています。代表に就任した経緯を教えてください。
名古屋日台若手交流会は、2010年に前代表の加藤秀彦さんが立ち上げた会です。
2019年夏に、加藤さんから代表を引き継ぎました。「若手交流会」という名のとおり、若手世代への継承を意図しています。

名古屋日台若手交流会の活動内容について教えてください
現在はスタッフ7名で運営しています。コロナ禍でイベント開催が困難になった時期を乗り越え、現在は年に2回大規模な対面イベントを開催しています。それが6月の「初夏の集い」と12月の「大忘年会」で、毎回100名を超える参加者が集まります。
そのほか不定期でバーベキューなども開催しています。直近では、台湾の方に「台湾では先にタレをつけてから肉を焼くんだよ」と教わり、台湾式バーベキューを楽しみました。
参加者は台湾に深く関わる人だけでなく、「ちょっと楽しそう」「興味がある」というライト層も多く、台湾に行ったことがない人も参加しています。交流会が台湾に興味を持つきっかけづくりになればうれしいと考え、運営しています。

野場さんは、なぜ日本と台湾の交流活動を続けているのですか?
私が台湾に留学していた2011年に、東日本大震災が起きました。台湾でも大きく報じられ、2〜3日後には台北市内で募金活動が動き出したことを目の当たりにしたんです。
このスピード感を肌で感じたことで、「台湾で何かあったときは、絶対に助けよう」と決めました。日本も台湾も地震大国です。助け合いが必要になるときは必ず来ます。「困ったときは国を超えて助け合おう」という思いを、若い方につないでいきたいのです。
東日本大震災の経験が日台交流の原点なのですね。「助け合いたい」という強い思いが、先日の「花蓮水害における募金活動」につながっていることが分かりました。
そうですね。2025年9月23日に、台風18号の大雨により台湾東部花蓮県で大規模な洪水が発生しました。
非常に心が痛み、前代表の加藤さんと相談してすぐに募金活動を開始。9月28日に名古屋駅前で街頭募金活動を実施したところ、多くの方にご協力いただき、181,465円+1500台湾元もの募金をお預かりしました。
活動の様子は台湾のニュースに取り上げられ、予想以上の反響がありました。お預かりした募金は、花蓮を応援する皆さんの気持ちとともに、大切に届けます。
日本と台湾の友情を高校生につないでいく
今後も日台の交流を続けていかれるのですか?
もちろんです。形はどうあれ日台の交流には携わり続けます。
先ほども話したように、東日本大震災の際に台湾が迅速に支援してくれた経験が原点にあり、「助け合いの心」を若い世代につないでいきたいと考えています。
ただ、今の高校生は東日本大震災をリアルに覚えていない世代です。だからこそ、自分の経験を丁寧に伝える必要があります。
現在は「高大連携(高校と大学が連携して教育活動を行うこと)」の一環として、高校に出向いて授業する機会が増えています。この機会を活かし、台湾の歴史や文化、東日本大震災の際に寄せられた支援などについてお話ししています。
私の授業がきっかけで台湾に興味を持つ高校生が増え、日台交流の輪が次世代につながっていくことを願っています。

すばらしい取り組みですね!
名古屋日台若手交流会も、若い世代へ継承していきたいです。6月の「初夏の集い」と12月の「大忘年会」はどなたでも参加できます。Instagramなどで告知しますので、お気軽にご参加ください。
バーベキュー大会など、一部のイベントでは年齢制限を設けて若い方の交流を促しています。
参加者だけでなく、スタッフも募集中です。日台交流に興味がある方であれば、日本人・台湾人を問わず大歓迎です。名古屋から日台交流を盛り上げていきましょう!


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